こんにちは。物騒なお話では決してありません💦
右翼とか左翼とかよくいいますよね。
ちょっと、この頃気になることがあって備忘録として
残します。
コロナを経て「食」に対する感じ方というか受け取り方が
とても両極端に聞こえてしまう
(もしくはそのように理解されてしまいかねない)
言動や表現、SNSでの書き込みが多くなっているように思うのです。
もちろん、googleにログインしていたり、ニュース配信アプリなどを
見ていればフィルターバブルまみれになってしまい、皆さんより多くの
食の情報が飛び込んでくる事は理解しています。
コロナ禍での「ワクチン陰謀説」などが流布されたり、「イソジンが効く」とか
過ぎ去ってしまうと「アレは何だったんだ?」という事柄がたくさんありますよね。
私的にはワクチン打つのは人それぞれで別に構わないと思いますし、人間ですから
「体に合う合わない」もあります。陰謀だと何だのと言われるともう何が何だか、、って
感じですけど、、。
前置きが長くなりました。
食についてです。
「食品添加物は完全な悪だ!」
「猿の奇形がうまれてくるのはあの仕業だ」
「子どもたちにもっと安全な食を!」
「冷凍食品ばかりを使って子どもを育てるなんて」
「小麦はすべてヤバい」
「味の素が諸悪の根源」
「味の素論争」
などなど、、全ての論争はコロナ禍前からあったものです。
所属している「良い食品づくりの会」というとても規律高い食の組織でも
勉強会の中で論議される事も多いです。
で、特に私は感じているのは上記のテーマに対し
「コロナ以前よりも言動に棘がありすぎ、個人的な(あるいはメーカー直接の)批判を
堂々とされている方々がとても目立つんです。
食の右翼化、左翼化は言いすぎかもしれませんが、、、、、
この道路標識の写真はフリーの素材を頂きました。
ご覧の通り、左か右しか行く先は選択肢がありません・・・・
でもでも・・・・
真ん中に小径はないのか?
はたまたバックにギアを入れて戻ることは出来ないのか?
何か選択肢は無いのか?と私は思います。
「中庸」と言ったらまた違うものになってしまうかもですが、、
右にも行かず、左にも行かずちょうど真ん中で留まっているのではいけないんでしょうか?
そして、ご意見をされている方々はまるで
「どっちかに行ってください!!立ち止まってはダメ」と言ってるようで私は戸惑いを隠せません。
今ジェンダーという言葉があります。「性」について多様性が求められるのならば
「食」についても多様性は認められるべきであると思います。
「性」も「食」も嗜好性があるものだと私は認識しています。
私からすると「食」を否定することが「生き方」を否定されているようにも思います。
こんな事を考えているタイミングで
先日ラジオから「小堀鴎一郎」さんがご自身の著書について語っていました。
外科医のキャリアの後、在宅患者への訪問診療をされている方です。
小堀さんは小堀遠州や森鴎外の子孫です。
ズバリ、「私は延命治療、安楽死、その全ての治療とは違う「死への治療」をやっている」
と仰っていました。
「仕方ないことだけど今の医者は眼の前の患者さんの治療後の生活を想像する力が完全に欠如している」
と厳しい事を仰っていました。
50代の私が書くこともおこがましいですが・・・・
「誰と、何処で食べるかで食べ物の味は変わる」と私はずっと思っています。
絶対的なものではなく相対的なものです。
ちょっとニュアンス違うけど15年前にこんな事書いてました💦
食べて死んでしまうようなものは絶対にいけないですが、
たとえ食品添加物が入っていたとしても、函館の船の上で食べたおにぎりとインスタントラーメンは
めちゃくちゃ美味しいし、その後の記憶として残りますよね。
私も自戒を含めて、これを食べたら(この食材を使ったら)どんな感動があるのか、未来があるのか?
はたまた、どんな良くないことがあるのか?(それを想像したら売らないと思うけど)
しっかりとお客様に伝えないといけないと思いました。