こんにちは。若旦那です。
先日とても楽しい街歩きウォーキングに参加してきました!
我ら次郎長屋にとってはマスト的な内容です。
ズバリ!
次郎長ウォーキング「次郎長さんの地元を歩く!」
約2時間のツアーでお茶と饅頭が付いて500円。ガイドさんももちろんいます(^^)
10時集合でしたが、我々夫婦が最年少・・・・💦まぁ平日ですしそうなりますよねw
さて、清水の次郎長ですが、最初は高木長五郎さんだったのですが、近所のお米屋さんの
山本次郎八さんに子どもがいなかった為、養子になります。そして、
「次郎八さんの所の長五郎さん」という事で「次郎長」になったんです。
資料以外にも昔の写真を見せてもらって面白いです。上記の写真は昔の魚河岸。
魚河岸と言っても今説明を聞いている巴川岸にあったようですね。
そのまま地面に魚ゴロゴロ、、、w
こちらも、巴川の河口2番目の港橋から見た昔の風景です。ちなみに、河口最初の橋は羽衣橋ですが
大昔は、江尻小学校近くの稚児橋が最初の橋だったようです。これもビックリ!
でも、よく考えたら当然で、稚児橋までは、両岸に何もなくて橋を架ける必要が無かったんですね。
言わずとしれた次郎長生家の近くの美濃和稲荷神社です。
コチラには、神社に寄進した方々の名前が玉垣にズラリと書かれています。
廻船問屋や、静岡のお茶問屋さんなど、誰もが知ってる名前ばかりです。もちろん鈴与さんも。
そして、次郎長さんの玉垣もありますが、ご自身は渡世人出身だったということもあり
目立つところではなく、最後の出口にところにありました。
ガイドさんも
「おそらく、遠慮して一番最後に名を連ねたんだろう」とのこと。
清水の次郎長と清水の次郎長屋
さてさて、今回のツアーで驚愕の事実が発覚しましたヨ!!!!
私が使っているこの前掛けにのデザインにもある
「山長」印ですが・・・・
これ、、、実は次郎長さんは使っていなかったんです!!!!!!
ガイドさんにちゃんと聞きましたが、
「おそらく、映画が作られた時に山本長五郎さんと語呂もいいし、東映が作ったんだろう」
との事でした。本当はコレを使っていました。「カネ長」です。
なぜ断言できるかというと、清水に再建された「末廣」という次郎長が昔建てた
旅館があるのですがこれを建てる時に実際に使われた「印」として書類に残っているんだそうです。
いやぁ、知らなかったです、、、、今度、Tシャツなどを作るときには必ず
「カネ長」を使いますね。