次郎長屋には、色々なお客さんが来られます。
特にご年配の方は話し込む事もしばしば・・・
一昨日は20年以上の奥さんが来店されました。去年旦那さんを亡くされ、娘さんと二人暮らしです。
旦那さんは酒もタバコもやらない真面目な方だったと話を始められ、実はオーディオが趣味だったと、、、。
自ら秋葉原まで出向き、スピーカーなど自作されていた物が沢山あり、レコードプレーヤーも沢山あるとのこと、、。
歌謡曲が大好きで奥さんと娘さんが出かけてから大きな音で聞くのをホント楽しみにしていたそうです。
そんなある日、NHKの歌謡番組で40年以上前のレコードを探しているという呼びかけを聞いて自分のコレクションを
調べたら何と??!!持っている事が判明して、早速書道の経験がある奥様が巻き紙に手紙をしたためて送ったそうです。
残念ながら、他の方ももっていらっしゃって番組内では放送されなかったようですが、NHKからは皮のお財布がお礼状と一緒に
届いたそうです。もちろん、そのお財布はお棺の中にいれてあげたそうです。
亡くなってから、膨大なビデオテープやレコードなどを見ていると(生前はさわらせなかったそうです)キチンと整理整頓された
ラベルなどを見てただただ驚くばかりと奥様は仰っていました。
うってかわって、今度はさきほど来店されたおばあさまのお話。
帰り際「何で次郎長屋って屋号なの?」という話をされ
実は、うちの親父が戦後支那から引き揚げてくる時の船の中で同郷のみんなに相談したら
「そりゃぁ、次郎長だろう!!」という事になり、「次郎長屋」という屋号になったとのこと。
また、乗り合わせた市議会議員さんが
「それじゃあ、私が今の一家の親分さんを仲介してあげよう」ということになり
うちの親父?オジイサン?が「次郎長屋」という屋号を掲げてる事をことわりにいったそうです。
と話したら、
「私の実家は美濃輪(次郎長の生家のある町名)です。孫ばあさんが実は次郎長と縁続きの人でしたよ!」
とのこと!!!
「次郎長は名をなしたのはホント晩年の事であって、それまでは切った張っただのホント物騒で、親族は本当に
大変な思いをした」
「孫ばあさんの所にも講談師が来て”「是非昔の話を!!」と聞くけれど一度たりとも昔の話はしなかったよ」
と教えてくれました。
たしかに、次郎長の小説読んでも最初の頃はほとんど刃傷沙汰のけんかばかりで全国を逃げ回ったりしていましたね・・」
親族にすればホント心中複雑だったと思います。
次郎長屋にも色んなお客さんが来ます(^^)
それに、次郎長を書いている諸田さんはうちのお客様でもありますしね・・・(^^)